現代美術作家
坂口登(sakaguchi susumu)LinkIcon

アメリカに渡って、50年。

変わらないのは、日本人としてのルーツ

多民族が共存する雑種文化のアメリカでは、芸術を通して、自己を表現していこうとすると、必ず、ルーツを問われるといいます。12歳で渡米直後に絵を描き始めた坂口少年は、常に、時代や場所や体験、そして、祖先を含めたルーツを強く意識する環境に身を置きました。そのなかで、日本とアメリカという重層した文化体験、幼少のころ、日本の豊かな自然のなかで遊んだ過去と描きだす未来を
同じ次元に感じながら、絵を描いていました。クラスメートが描く山や空や雲の色が、赤や黒や紫に彩られていくのに驚いた坂口少年は、自分の心象風景である「山は緑、空は青、雲は白」という感性と人種による感性の違いを絵画を通して、体得していきました。そして、アーティストが描く色や形の根源に興味をもちはじめたといいます。アーティストにとって大切なもの。「人間性と意識と感性」当時、日系人の生活はまだ厳しく、文化や芸術への意識は薄かったそうです。ハウスボーイ(白人の家事の手伝い)の体験を通じて自立していった坂口少年は、中・上流階級の豊かな暮らしに直面し、子ども時代にして、貧しい日系人と豊かな白人の生活格差の厳しい現実世界を受けとめました。アートとは、「人間が生きていくこと」そのもの。そして、それを表現すること。だから、時代と現実を知り、受けとめることから始まる。そして、未来をイメージしながら、その現実を深く理解していくうちに、社会への疑問や問題を考えはじめたといいます。学校のなかでは、喧嘩は日常茶飯事。 「周囲に巻き込まれてはならない。暴力では、決して世界を変えることはできない」坂口少年はいつしか、環境が人間性をつくる。社会にメッセージを発するアートで大切なことは、自分そのものの人間性を高め、意識と感性を高めること、と自然に思うようになっていきました。スプラッシュ(はねかけ)。自分のエネルギーを通して生まれる形「私自身を全面的に出したい」。自己のオリジナルに向かうとき、その独自の形とは何か? という問題に向き合います。巨大な紙に向かって、全意識を集中させて、無意識の状態にまで自分を追い込み、体全体を使って、スプラッシュしていく。
「飛び散る瞬間の点のなかに、私の宇宙があり、内面の心があると感じる」と語る坂口氏。そして、自分を出し切ろうとするときに、もう一つの形が浮かびあがってくるといいます。それは、地上に立った自分が感じる自然。海、大地、空、そして宇宙という空間。そこから、もう一つの形が生まれたといいます。それは、地球生命であり、生命の形、そのものだったのです。一つの事柄に対して、二つの違う感じ方。 内面に隠された二つの形を「分割」という技法で表現していくことになったのです。「こころと自然」。この二つの一体化、バランスこそが、地球を救う道。丸い地球、宇宙のなかで、花と実の形をイメージとして描くことで、坂口氏は、その調和の大切さをメッセージしています

1944年、大戦末期日本で生まれ12才で渡米。
14才からオーティス美術学校にて本格的美術教育を受ける。 カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)大学院を首席で修了し、そののち現代美術最前線であるニューヨークにて 作家活動を続ける。 1977年、Susumu SAKAGUCHI EXHIBITION(N.Y.ノベギャラリー)にてイサム・ノグチより認められ1977年~1988年、イサム・ノグチ没するまでの10年間、ニューヨークチーフアシスタントを勤めあげる。
1981年、原美術館の企画を皮切りに日本においても作品を発表することとなる。 東洋と西洋のはざまで、アーティストの純粋なる意識を通し「自己のルーツ」を見定め、知覚とその変貌を通して、 「ダブルアイデンティティ」より独創されたMETAMORPHOSIS PERCEPTION PAINTINGの絵画形式を醸成する。
The reality is double experience
私は、第二次世界大戦の末期の1944年に日本で生まれ、1956年、12歳のときアメリカ合衆国に移住し、ロサンゼルスのダウンタウンで育った。14歳からオーティス美術学校で美術の勉強を始め、1971年、カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)の大学院修士課程に入学した。同大学院では、ナム=ジュン・パイク(ヴィデオ・アート)やジョン・パルデッサーリ(概念芸術)、アラン・カプロー(ハプニング理論)、マックス・コズロフ(美術史・美術批評)、ラヴィ・シャンカール(音楽理論)らの教鞭のもとで勉学し、メアリアム・シャピロとポール・ブラックに絵画を学んだ。当時、この学窓でともに学んだ仲間には、ロス・プレックナー、ゲイリー・ラング、ジャック・ゴールドステイン、エリック・フィッシュル、デイヴィッド・サーレら、現在、世界各地で活躍するアーティストたちがいる。カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)の大学院を卒業後、1973年にニューヨークに移った。
日本とアメリカという、ふたつの文化的体験を浴びていることを気づかされて以来、私は、自分自身が抱く心象への感受性が、イメージと観念とを茫然とした両義的なかたちで受け取っていることを、実感し始めたのであった。イメージと観念とが示すこの両義性に明晰さを与えるべく、私は、二つに分割したカンヴァスに向かい、一連の時間のなかで絵を描くようになった。筆を振り、絵具の飛沫を飛ばして小さな点を作る。”スプラッシュ”(はねかけ)の技法を用いながら、飛沫の点による層を幾重にも重ねて、画面全体を無の境地へと導いていく。その一方で、明晰な意識によるイメージを描く。
折り重なる色彩の層は、潜在意識の状態を変貌させていく。私の二重の文化的体験は、イメージと観念そのものでもある。私自身のこのリアリティを、絵画を描くプロセスを通じて把握し、そして表現したいのである。
坂口登
I was born in Japan at the end of World War II, immigrant to the United States of America in 1956 at age 12. I grew up in downtown Los Angeles. I began my study of fine arts at Otis Institue of Arts at age 14 and enrolled in California Institute of Arts of Graduate School in 1971. Studied under Nam-June Paik/Video-Arts; John Baldessari/Conceptual-Art; Allan Kaprow/Concept of Happening; Max Kozloff/Arts History and Criticism; Ravi Shankar/Concept of Music; painting by Mariam Schapiro and Poul Brach. Among the students were Ross Bleckner, Gary Lang, Jack Goldstein, Eric Fischl, David Salle and others. After finishing Cal-Arts, I moved to New York City in 1973.
Since I was caught in a double cultural experience, I began to realize my sensibility of consciousness has ambiguously apprised that of images and sense.To clarify the ambiguity of images and senses, I began to paint in two separate canvases in one single length of time by splashing paints of Mist into dots with brush, layers into layers,and controlling dots of totally meditation. On the other mind I painted images of clear conscious.
The layer of colors transforms subconscious state;my double cultural experiences are also images and senses which I hope to understand and translate of self-real, through the process of painting.
SUSUMU SAKAGUCHI