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キーボーディスト/作曲家
喜多郎

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シンセサイザーとの出会い

1970年代初め、『ファー・イースト・ファミリー・バンド』のメンバーとしてキーボードを担当していた喜多郎は、レコーディングに訪れたヨーロッパで、ドイツのシンセサイザー奏者クラウス・シュルツェと出会い、シンセサイザーにすっかり魅了される。帰国後、自分の音楽とシンセサイザーとの接点を見出す。
「喜多郎」という名の由来は、長髪にしていた高校時代に、ニックネームで「キタロウ」(「ゲゲゲの鬼太郎」より)と呼ばれていたことから、「キタロウ」に別の漢字を当て「喜多郎」としたもの(本人の随筆/写真集『喜多郎 Kitaro』による)。
尚、先述した『ファー・イースト・ファミリー・バンド』には、後にヒーリングミュージックを製作し、ヒーリングミュージックの第一人者となるミュージックセラピストの宮下富実夫も在籍していた。

ソロ活動

1978年、ソロとして活動を開始し、初のアルバム「天界」をリリース。
1979年、「大地」「OASIS」を発表。
1980年、NHK制作のドキュメンタリー番組 NHK特集「シルクロード」の音楽を担当し、そのテーマ曲は喜多郎の代表作となった。同年発売されたアルバム「シルクロード・絲綢之路」「シルクロード・絲綢之路 II」、パルコ劇場でのライブ録音「イン・パースン」は人気を集め、喜多郎の名が日本中に知られるようになる。
1981年、アルバム「敦煌」さらに「氣」を発表。
1982年、東映アニメ「1000年女王」(CD国内未発売)のサウンドトラックを手がけ、初の全国ツアー(30都市)を行なう。同時期、NHK総合テレビジョンニュースセンター9時のテーマソングを作曲・演奏。1988年3月の放送終了まで使われる
1984年、アジアツアーを行ない、台湾と中国双方で演奏した最初の日本人ミュージシャンとなった。

海外進出

1985年、米国ゲフィンレコードから6枚のアルバムがリリースされると、喜多郎の世界に魅せられるファンが世界で急増する。
1986年、ゲフィンレコードと全世界の独占契約を結び、アルバム「天空」を発表。
1987年、尊敬する『グレイトフル・デッド』のパーカッション奏者、ミッキー・ハートとの共同プロデュースによるアルバム「THE LIGHT OF THE SPIRIT」を発表。テーマを“生命・死・そして復活”とし、アルバム「天空」から始まる喜多郎の生命サイクルに対する音楽的探求の表れであった。アルバム発表後、コロンバスのオハイオ・シアターを皮切りに日本人初の全米ツアー(25都市31公演)を行い、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、ロサンゼルスをはじめ、多くの都市でチケットが完売を記録、大成功を収める。また、初めてアルバムと連動した同名のビデオ「ザ・ライト・オブ・ザ・スピリット」も発表する。
1988年、同アルバムからの楽曲“ザ・フィールド”でグラミー賞“ベスト・ニューエイジ・パフォーマンス”にノミネートされる。同年、自身による初のベストアルバム「10イヤーズ/The Best of 10 YEARS」を発表。
1989年2月、ヨーロッパ・ツアー(15都市16公演)、さらに9月からは“Kitaro Live World Tour”を行い、北アメリカ、ヨーロッパ、日本と全52都市計55公演を行い、総動員数20万人を記録。
1990年、日本古来の物語と世界に伝わる伝説との融合を試みた壮大なコンセプトアルバム「古事記」を発表。米国音楽誌ビルボードのニューエイジ部門アルバム・チャートで、日本人初の8週連続第1位を獲得しアメリカでの人気が不動のものとなる。同年、米国コロラド州に移住。アルバム発表後のワールド・ツアーでは「古事記」をダイナミックに展開し、そのコンサート模様は、翌1991年にアルバム「Live in America」及びビデオ「KOJIKI : A Story in Concert」として発表され、同年9月、日本でもコンサートが開催される。また「古事記」はグラミー賞ベスト・ニューエイジ・アルバムにノミネートされる。
1993年4月、ロサンゼルス (U.S.A.)に本拠地のある「ドーモレコード DOMO Records Inc.,(DOMO Music Group)」に移籍。翌年「MANDALA」を発表し、世界中でのコンサートも続ける。また、オリバー・ストーン監督作品映画「天と地(HEaven and Earth)」の音楽監督を務め、同名のサウンドトラック・アルバムを発表し、翌年1994年の第51回ゴールデングローブ賞、作曲賞を受賞する。また、この年に発表したアルバム「ドリーム」で、プログレロック・グループ『イエス』のヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンと共演。同アルバムで喜多郎は3度目のグラミー賞ノミネートを果たす。
1994年、アルバム「MANDALA」を発表。この作品は、生活、レコーディング、そしてツアーと、活動の場をアメリカに求めてきた喜多郎のアーティストとしての評価を一層高める。
1995年、発表したアルバム「an enchanted evening 〜天空への響き」そして同名のライブ・ビデオは2年連続のグラミー賞ノミネートとなる。
1996年、クリスマス・アルバム「Peace on Earth」を発表。
1997年、ブロードウェイ演劇のテクニックと幻想的なストーリーが織り成すユニークなサーカス&ミュージカル「サーキュ・インジュヌー」の音楽を手がけ、同名のオリジナルスコア・アルバムを発表。また、メイベル・チャン監督作品、映画「宋家の三姉妹」の音楽を手がけ、香港の金像奨、及び台湾の金馬奨で最優秀オリジナル音楽賞を受賞。
1998年、長野県の祭り“御柱祭”で、その木遣り唄を主題にしたアルバム「GAIA-ONBASHIRA」を発表。同年NHK番組「四国八十八か所」の音楽を担当。同年のアジア・ツアーでは「古事記」収録曲“響宴”が女性を中心とした若者たちからの人気を集め、新しいファン層を広げる。「GAIA-ONBASHIRA」で6度目のグラミー賞ノミネートを果たす。
1999年、春、“Kitaro 1999 New Millennium World Tour in U.S.A.”を行なう。
2000年、アルバム「Thinking of you」を完成する。

2000年以降の活動

2000年、4月、世界環境会議において、国際環境議員連盟(GLOBE:国連が認めた[要出典]唯一国会議員のためのNGO組織)より、グローブカウンシルの一員に迎えられ、国際環境アーチストとしての役割を担う。同年7月、NHK開局75周年記念番組「四大文明」の音楽を手がけ、そのテーマ曲「母なる大河」においてカウンター・テナーのスラヴァと共演。同楽曲を含むサウンドトラック「エンシェント」を発表、その後東南アジアツアーを行なう。 また、現代舞踏家玉野黄市とハルピン派による幻想的な創作舞踊と、喜多郎の神秘的な音楽の共演が斬新だった新潟県清水園でのコンサートの映像作品「TAMAYURA」を発表する。
2001年、1月、「四大文明」関連のアルバム「永遠の時を〜An Ancient Journey」を発表。日本では6年振りとなる本格的なコンサートツアー“Sound Odyssey 2001〜featuring ANCIENT〜”を行なう。2月、アルバム「Thinking of you」で第43回グラミー賞でベスト・ニューエイジ・アルバム賞を受賞。5月、グラミー賞受賞記念盤として2枚組アルバム「KITARO」を発表する。そして、自身の原点とも言えるシルクロードを振り返ることを宣言。8月、そのスタートとして、薬師寺玄奘三蔵院伽藍にてコンサートを行う。
2002年、1月、アルバム「エンシェント」で 8回目のグラミー賞ノミネートを果たす。10月、日中国交回復30周年記念コンサートを、北京天覧館劇場で開催し、満席の中で喝采を博す。
2003年、1月、アルバム「永遠の時を〜An Ancient Journey」は、第45回グラミー賞で9回目のノミネートを果たす。
2001年、9月、アメリカ同時多発テロが発生。同日喜多郎を乗せアメリカ本土へ向かっていた飛行機はハワイに緊急着陸する。この事件に影響を受け、音楽家として世界平和に貢献できるようにと、12月、四国へ向かう。人の心に安らぎを与えるといわれる鐘の音を作品に取り入れる為、四国八十八箇所の寺の鐘の音の録音を開始。およそ10年、全88曲で完成する空海の旅プロジェクトを開始。
2003年、「空海の旅」を発売。
2004年、「空海の旅」が、第46回グラミー賞で10回目のノミネートをされる。夏、東南アジアツアーを敢行。8月28〜29日金華山と長良川をバックに、チャリティーコンサート「喜多郎〜長良川を奏でる〜」を岐阜市の長良川公園で開催。
2005年、2月「空海の旅2」を発売。
翌年2006年、「空海の旅2」が、第47回グラミー賞で11回目のノミネートをされ、歴史的快挙となる「空海の旅」シリーズ連続のノミネートを果たした。2月1日、喜多郎のワールド・ツアーのキーボーディストでもある「KEIKO」とのコラボレーションで制作された「スピリチュアル・ガーデン」をリリース。
2006年後半〜2007年前半、中国の著名な映画監督 張芸謀(チャン・イーモウ)監督製作の、中国杭州西湖での水上舞台「印象西湖」の音楽を作曲担当。また、喜多郎の出身地である豊橋市の市制100周年記念作品「早咲きの花(監督:菅原浩志/主演:浅丘ルリ子)」の映画音楽を担当、監督から直にオファーされ花火師の役で出演。
2007年9月25日、シリーズ第3弾「空海の旅3」を全米発売。第50回グラミー賞で12回目のノミネートをされ、「空海の旅」シリーズ3作全てがノミネートされる。また、2007年よりアジアを中心とした世界ツアーを実施、2011年4月までの観客総動員数は約10万人に及ぶ。
2009年、「インプレッションズ Impressions」(歌手ジェーン・チャンとの共作を含む)が第52回グラミー賞で13回目のノミネートをされる。また、すずきじゅんいち監督による日系史ドキュメンタリー映画「Toyo’s Camera –Japanese American History during WWII-」「442-Live with Honor, Die with Dignity-」へも楽曲を提供。オリジナルサウンドトラック「Toyo’s Camera 」(2009年)、「442」(2010年)、「442 Kitaro’s Story Scape」(2010年)をリリース。9月には奈良の平城遷都1300年祭記念コンサートへ、10月には香港のシルクロード記念イベント”Silk Road Art Fetival"へ出演。同時に東京、名古屋でも数年ぶりとなる日本公演を実施。
2010年3月、メキシコ・サカテカス市で"Zacatecas Cultural Festival”へ出演。9月には、シリーズ第4弾「空海の旅4」を発売し、第53回グラミー賞で14回目となるノミネートを果たす。また中国・西安市の”Daming Palace National Heritage Park”オープニングイベントへ招聘され、公演を実施。10月、名古屋で開催された生物多様性条約第10回帝国会議(COP10)のステージプログラムでフィナーレを飾る。“地球のリズム、宇宙からのメッセージ”をテーマに、「千人太鼓」で一般参加者千人と共に太鼓を打ち鳴らした。
2011年3月、"The Silk Road - East & West"と題したアジアツアーを敢行。タイ、香港、インドネシア、シンガポール、マレーシアを回る。タイと香港での公演では、収益金の一部(香港公演では10万香港ドル)を東日本大震災へ寄付。

受賞歴

1987年 第29回日本レコード大賞(特別賞)受賞
1994年第51回ゴールデングローブ賞 作曲賞受賞 ...『 映画『Heaven & Earth 』( 監督:オリバー ストーン)
2001年第43回グラミー賞最優秀ニューエイジ・アルバム賞受賞 ...『Thinking of You 』

[出典・wikipedia]

面打師
奥村和夫

奥村和夫面リストLinkIcon

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Kazuo Okumura
Yasugatake Noh-Mask
craft private tutoring school.
1948-year Aichi Prefecture Nagoya City birth. It applies itself to the Noh-mask production for 1990 years in the self-education. It enters a Japanese Noh-mask art meeting for 1993 years. It migrates for 1995 years at the foot of a mountain of Yamanashi Prefecture Yatsugatake. In "gallery Sinra", the 1st private exhibition. In "valley cherry blossoms liquor warehouse gallery", the 2nd private exhibition. "Yatsugatake Noh-mask craft private tutoring school". With "Yamanashi ・ Sichi-ken gallery", the 3rd private exhibition. In "gallery○△□", the 4th private exhibition.
1948 愛知県名古屋市に生まれる
1990 独学にて能面を打つ
1992 日本能面巧芸会に入門
1996 山梨県八ヶ岳山麓に面を打つため移住
1997 愛知県小牧市「ギャラリー森羅」にて個展
1998 東京国立能楽堂にて能面「三光尉」使用される(観世流・中森昌三氏)
1998 山梨県大泉村「谷桜酒造」にて巧展開催
1999 八ヶ岳能面巧芸塾開塾
2000 山梨県白州町「山梨名醸 七賢」にて個展
2001 岐阜県美濃加茂市「」LinkIconギャラリー●▲■にて個展
2003 岐阜県美濃加茂市「LinkIconギャラリー●▲■」にて個展
    ミュージシャン「喜多郎さん」に般若面を贈呈
2003 鎌倉市極楽寺「ギャラリーGOKURAKU亭]にて個展
2005 東京都港区南麻布「山梨県東京物産観光センター」にて個展
2006 山梨県北杜市小淵沢身曾岐神社「喜多郎コンサート」にて
若女面を友情出演舞踏家玉野浩市氏が使用
2006 NHK甲府放送局「まるごと山梨/美を求めて」に出演
2007 カナダ(バンクーバー&カムループス)にて個展
2008 愛知県海部郡美和町「遊倶楽部」にて個展
2008 山梨県北杜市長坂町「おいでやギャラリー」にて個展
2009 名古屋市名東区「あさくま藤ケ丘店」にて個展

現代美術作家
坂口登(sakaguchi susumu)
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アメリカに渡って、50年。
変わらないのは、日本人としてのルーツ

多民族が共存する雑種文化のアメリカでは、芸術を通して、自己を表現していこうとすると、必ず、ルーツを問われるといいます。12歳で渡米直後に絵を描き始めた坂口少年は、常に、時代や場所や体験、そして、祖先を含めたルーツを強く意識する環境に身を置きました。そのなかで、日本とアメリカという重層した文化体験、幼少のころ、日本の豊かな自然のなかで遊んだ過去と描きだす未来を
同じ次元に感じながら、絵を描いていました。クラスメートが描く山や空や雲の色が、赤や黒や紫に彩られていくのに驚いた坂口少年は、自分の心象風景である「山は緑、空は青、雲は白」という感性と人種による感性の違いを絵画を通して、体得していきました。そして、アーティストが描く色や形の根源に興味をもちはじめたといいます。アーティストにとって大切なもの。「人間性と意識と感性」当時、日系人の生活はまだ厳しく、文化や芸術への意識は薄かったそうです。ハウスボーイ(白人の家事の手伝い)の体験を通じて自立していった坂口少年は、中・上流階級の豊かな暮らしに直面し、子ども時代にして、貧しい日系人と豊かな白人の生活格差の厳しい現実世界を受けとめました。アートとは、「人間が生きていくこと」そのもの。そして、それを表現すること。だから、時代と現実を知り、受けとめることから始まる。そして、未来をイメージしながら、その現実を深く理解していくうちに、社会への疑問や問題を考えはじめたといいます。学校のなかでは、喧嘩は日常茶飯事。 「周囲に巻き込まれてはならない。暴力では、決して世界を変えることはできない」坂口少年はいつしか、環境が人間性をつくる。社会にメッセージを発するアートで大切なことは、自分そのものの人間性を高め、意識と感性を高めること、と自然に思うようになっていきました。スプラッシュ(はねかけ)。自分のエネルギーを通して生まれる形「私自身を全面的に出したい」。自己のオリジナルに向かうとき、その独自の形とは何か? という問題に向き合います。巨大な紙に向かって、全意識を集中させて、無意識の状態にまで自分を追い込み、体全体を使って、スプラッシュしていく。
「飛び散る瞬間の点のなかに、私の宇宙があり、内面の心があると感じる」と語る坂口氏。そして、自分を出し切ろうとするときに、もう一つの形が浮かびあがってくるといいます。それは、地上に立った自分が感じる自然。海、大地、空、そして宇宙という空間。そこから、もう一つの形が生まれたといいます。それは、地球生命であり、生命の形、そのものだったのです。一つの事柄に対して、二つの違う感じ方。 内面に隠された二つの形を「分割」という技法で表現していくことになったのです。「こころと自然」。この二つの一体化、バランスこそが、地球を救う道。丸い地球、宇宙のなかで、花と実の形をイメージとして描くことで、坂口氏は、その調和の大切さをメッセージしています

1944年、大戦末期日本で生まれ12才で渡米。
14才からオーティス美術学校にて本格的美術教育を受ける。 カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)大学院を首席で修了し、そののち現代美術最前線であるニューヨークにて 作家活動を続ける。 1977年、Susumu SAKAGUCHI EXHIBITION(N.Y.ノベギャラリー)にてイサム・ノグチより認められ1977年~1988年、イサム・ノグチ没するまでの10年間、ニューヨークチーフアシスタントを勤めあげる。
1981年、原美術館の企画を皮切りに日本においても作品を発表することとなる。 東洋と西洋のはざまで、アーティストの純粋なる意識を通し「自己のルーツ」を見定め、知覚とその変貌を通して、 「ダブルアイデンティティ」より独創されたMETAMORPHOSIS PERCEPTION PAINTINGの絵画形式を醸成する。
The reality is double experience
私は、第二次世界大戦の末期の1944年に日本で生まれ、1956年、12歳のときアメリカ合衆国に移住し、ロサンゼルスのダウンタウンで育った。14歳からオーティス美術学校で美術の勉強を始め、1971年、カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)の大学院修士課程に入学した。同大学院では、ナム=ジュン・パイク(ヴィデオ・アート)やジョン・パルデッサーリ(概念芸術)、アラン・カプロー(ハプニング理論)、マックス・コズロフ(美術史・美術批評)、ラヴィ・シャンカール(音楽理論)らの教鞭のもとで勉学し、メアリアム・シャピロとポール・ブラックに絵画を学んだ。当時、この学窓でともに学んだ仲間には、ロス・プレックナー、ゲイリー・ラング、ジャック・ゴールドステイン、エリック・フィッシュル、デイヴィッド・サーレら、現在、世界各地で活躍するアーティストたちがいる。カリフォルニア芸術大学(Cal-Arts)の大学院を卒業後、1973年にニューヨークに移った。
日本とアメリカという、ふたつの文化的体験を浴びていることを気づかされて以来、私は、自分自身が抱く心象への感受性が、イメージと観念とを茫然とした両義的なかたちで受け取っていることを、実感し始めたのであった。イメージと観念とが示すこの両義性に明晰さを与えるべく、私は、二つに分割したカンヴァスに向かい、一連の時間のなかで絵を描くようになった。筆を振り、絵具の飛沫を飛ばして小さな点を作る。”スプラッシュ”(はねかけ)の技法を用いながら、飛沫の点による層を幾重にも重ねて、画面全体を無の境地へと導いていく。その一方で、明晰な意識によるイメージを描く。
折り重なる色彩の層は、潜在意識の状態を変貌させていく。私の二重の文化的体験は、イメージと観念そのものでもある。私自身のこのリアリティを、絵画を描くプロセスを通じて把握し、そして表現したいのである。
坂口登
I was born in Japan at the end of World War II, immigrant to the United States of America in 1956 at age 12. I grew up in downtown Los Angeles. I began my study of fine arts at Otis Institue of Arts at age 14 and enrolled in California Institute of Arts of Graduate School in 1971. Studied under Nam-June Paik/Video-Arts; John Baldessari/Conceptual-Art; Allan Kaprow/Concept of Happening; Max Kozloff/Arts History and Criticism; Ravi Shankar/Concept of Music; painting by Mariam Schapiro and Poul Brach. Among the students were Ross Bleckner, Gary Lang, Jack Goldstein, Eric Fischl, David Salle and others. After finishing Cal-Arts, I moved to New York City in 1973.
Since I was caught in a double cultural experience, I began to realize my sensibility of consciousness has ambiguously apprised that of images and sense.To clarify the ambiguity of images and senses, I began to paint in two separate canvases in one single length of time by splashing paints of Mist into dots with brush, layers into layers,and controlling dots of totally meditation. On the other mind I painted images of clear conscious.
The layer of colors transforms subconscious state;my double cultural experiences are also images and senses which I hope to understand and translate of self-real, through the process of painting.
SUSUMU SAKAGUCHI


Contemporary Dancer
Shizuno Nasu

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幼少の頃より、本格的に西洋の舞踊教育を受け、19歳にて、プロダンサーとしてデビューする。「自己のオリジナルとは何か?」を問い、日本古来の伝承芸能舞を学び、後、日本全県を長年にわたって、舞踊行脚し、舞-maiの深き精神と技を体得する。西洋と東洋というダンス表現を超え、大自然のリズムとともに、舞手の内なる宇宙と魂による即興舞「スパイラルビジョンーSpiral Vision」www.shizuno-nasu.com 那須シズノ独自の舞を醸成する。 その舞は、日本、米国はもとより、フランス、ドイツ、イタリア、ギリシャ、インド、韓国、中国と世界各国にて「華麗なるパフォーマンスー感嘆すべき身体のスパイラル」と多くの人々の心に感動を与え、絶賛される。 そして、今、ハワイ・ビッグアイランドにて、ダンスの拠点を持ち、新たなる創造へと向かい続けている。

彫刻家(Hawaii)
Randy Takaki

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Sculptor Randy Takaki, born and raised on the Big Island of Hawaii, works in a converted garage on the misty rain forest slopes of Kilauea Volcano. There his sculptures emerge from various materials at hand. Whether carved from rare tropical woods, molded from wire fencing, drawn with motor oil on plywood, or scraped from the rust on a discarded roof panel, these figures take their quietly powerful form.

彫刻家
ランディタカキ(ハワイ島で生まれる)は、キラウエアVolcanoの霧の深い熱帯多雨林のガレージで制作しています。そこで、彼の彫刻は、身じかないろいろな材料から出てきます。珍しい熱帯の木に刻んで作られるか、ワイヤーフェンシングから形作られるか、合板の上で油絵の具で引き出されるか、捨てられた屋根材の上にさびからこすり落されるかどうかに関係なく、これらの素材は彼の静かに強力なフォームを生み出します。

水彩画家
松永優

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灰柚陶
青山双男

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昭和41年
父禮三と共に「草の頭窯」を開窯する
昭和55年 
伊勢丹新宿店にて草の頭窯父子展(以後継続)
平成10年 
第25回美濃陶芸展にて中日奨励賞(黄瀬戸)
平成12年
第27回美濃陶芸展にて美濃陶芸大賞(白陶)
平成13年 
美濃陶芸作品永年保存事業の作品に選定される(白陶)
「小名田窯下窯出土白天目碗の土と釉薬について」『多治見市文化財保護センター研究集会』で発表
平成14年 
『尾張青瓷研究集会』同右演目で講演
平成15年
美濃陶芸協会理事後 副会長に就任(平成23年退任)
平成16年
第22回幸兵衛賞を受賞 「山茶碗の成形技法について」『瑞浪陶磁資料館研究紀要第10号』
平成18年
「美濃窯における施釉陶器の皿にみられる成形技法について」『瑞浪陶磁資料館研究紀要第11号』
平成19年
九州国立博物館文化庁海外展「日本のやきもの」で、「美濃における紐輪積みロクロ成形について」講演
平成20年
「桃山陶にみられる紐輪積み成形技法について」『瑞浪陶磁資料館研究紀要第一二号』
平成22年
岐阜県伝統文化継承功績顕彰
平成24年
「伯庵茶碗の成形技法について」 『瑞浪陶磁資料館研究紀要第一四号』
「武野紹 所持白天目の再現」『茶の湯文化学会東海ブロック例会』発表
平成25年
東京銀座『おかりや』にて双男(双渓)作陶展

能楽囃子大倉流 大鼓<br>重要無形文化財総合認定保持者
大 倉 正 之 助

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大倉流大小鼓宗家故大倉長十郎の長男として生まれる(大倉家は、室町時代より続く能楽囃子「大鼓・小鼓」の家)祖父、父より稽古を受け、9歳で初舞台。能舞台の他、大鼓ソリストとしての地位を確立、古式奏法にのっとり至難の技とされる素手打ちにこだわり、大鼓という日本古来の伝統打楽器を通じ幅広ジャンルを横断しながら国内外のインタージャンルのアーティストとの活動多数。世界各国の式典やイベントで演奏を続け、ローマ法王より招聘されバチカン宮殿内クリスマスコンサートでも独奏を披露、又CMなどメディアにも多数出演。世界に向けて日本文化を発信している文化プロデューサーでもある。2005年文化デザイン賞受賞。PIAZZA PLUSよりCD「World Beat」、ユニバーサルミュージックよりCD 「飛天」がある。

百々あずさ (どどあずさ)

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愛知県生まれ。
私立滝学園滝高等学校普通科、国立音楽大学音楽学部声楽学科卒業後、1998年度イタリア政府給費留学生として渡伊、イタリア・トリノのジュゼッペ・ヴェルディ国立音楽院声楽科卒業。
今までに桑山ミユキ、星野行則、石光佐千子、加賀山和香、Luisella Ciaffi 、Claudio Ottino, Gianfranco Pastine、 Maria Chiara、 Luciano Pavarottiの各氏に師事。
また、Raina Kabaivanska、 Magda Orvero、 Paolo Montarsoloのマスタ一クラスに参加。
現在Maria Chiara氏に師事。

オペラ「ディドとエネアス」のディド(ヴェルディ音楽院主催)、「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナ(イタリア・マンチネッリ劇場、Beppe De Tomasi演出)、「ジャンニ・スキッキ」のチェスカ(イタリア・ジェノバ、ドイツ・ミュンヘン)、「ラ・ボエ一ム」のミミ(イタリア、サンタマルゲリ一タ国際音楽祭)、「道化師」のネッダ(イタリア・パドヴァ)、「蝶々夫人」の蝶々さん(ヨ一ロッパ9カ国)などでヨ一ロッパを中心に活躍。
オペラ以外にもべ一ト一ベン第九交響曲、レクイエム、宗教曲などでヨ一ロッパ・日本のコンサ一トに多数出演している。
2005年9月パリの国連ヨ一ロッパ本部では、イタリアの名門アルトゥ一ロ・トスカ二一ニ財団主催によるオペラ・ガラコンサ一トに出演。
同年夏、ルチア一ノ・パヴァロッティ氏に国際的資質を認められ、本人より直々レッスンに招待される。
2006年2月にはイタリア・ボルツァ一ノにて国際的バリトン歌手ロベルト・セルビレ氏のリサイタルに友情出演。
2008年には地元愛知にて、名古屋尾張地域市民オペラ主催「道化師」にネッダとして出演、東京・名古屋にてデュオリサイタルを開催。
2009年モスクワにてコンサ一トに出演。
今年1月にはベルリン日独センタ一設立25周年記念式典としてオペラ「蝶々夫人」が上演され、蝶々さんとして出演。
2011年イタリア・トッレ デル ラ一ゴのプッチ一ニフェスティバルにて、「蝶々夫人」改訂版世界初演に芸者兼蝶々さんの代役として出演。         2012年夏 イタリアートスカ一ナの野外フェスティヴァルにて蝶々夫人のタイトルロ一ルとして出演。

第51回全日本学生音楽コンク一ル名古屋大会声楽部門大学・一般の部 第1位
第9回リッカルド・ザンドナイ国際オペラコンク一ル審査委員長特別賞受賞
第21回サンタ・マルゲリ一タ国際声楽コンク一ル 第2位
第12回リニャ一ノ・サッビアド一ロ国際オペラコンク一ル  第3位
第10回ジュリエッタ・シミオナ一ト国際オペラコンク一ル 入選
第2回カルロス・ゴメス国際オペラコンク一ル 入選                                                マスカ一ニコンク一ル  最優秀ソプラノ賞及び第3位
NTD 国際声楽コンク一ル 女声部門銀賞


藤原歌劇団団員。
現在ベルリン在住。

あさくま創業者
近藤誠司

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創業者 近藤誠司が日進町赤池(現日進市)に「ドライバーズコーナー・キッチンあさくま」を開業。
当時、庶民には縁のなかったステーキ(当時は「テキ」と呼ばれていた)を大衆価格でメニューに載せたり、肉を焼きながら食べるように開発したペレットなどユニークな経営で人気を呼び、連日盛況であった。日本で最初の郊外型レストランといわれ有名になった。

中国古箏奏者
姜小青 Jiang Xiao-Qing

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北京出身。二胡奏者である母親の影響で幼少の頃より古箏の英才教育を受け、8歳より著名な古箏演奏家曹正・劉維姍・項斯華・范上娥・張燕等に師事。15歳のとき、中国少年民族楽器独奏コンクールで第一位、金賞を受賞し、同年北京中央音楽大学に入学。中国古箏の五大流派である山東・河南・浙江・潮州・客家の伝統演奏を修得し、今日の基礎を築く。
1985年北京市優秀芸術家の称号を得る。翌年、中国政府派遣芸術団の客員として初めての海外コンサートをアメリカで挙行。コンサート・セッションなどで文化交流をはかり、ヒューストン名誉市民の栄誉を受ける。
来日後、1987年坂本龍一氏のアカデミー音楽賞受賞作品『ラスト・エンペラー』のサウンドトラックに参加。7月坂本龍一氏のNEO GEO 日本全国ツアーに参加。
1988年6月坂本龍一氏のNEO GEO アメリカツアーに参加。
1988年、テレビコマーシャル日産セドリック自動車で坂本龍一氏と共演。
1989年、ユネスコ主催による初リサイタル「輝弦(中国古箏の世界)」開催。
1995年10月、国連創設50周年記念「アーバンナイトページェント」に出演。
1996年1月、香港政府主催による屯門大会堂でのリサイタル開催。
1997年2月、パリのユネスコ本部でユネスコ成立50周年記念「21世紀を開く世界のメッセージアート展」に特別賛助出演。
1998年2月、エイジアン・ファンタジー・オーケストラの一員として、インド・ベトナム・フィリピンへ1ヶ月のツアーに参加。
1999年9月、邦楽器の演奏家とともに、シンガポールのビクトリアホールで、シンガポール・シンフォニーオーケストラおよびシンガポール・チャイニーズ・オーケストラと共演。
1997年~1999年、朝日新聞社創刊120周年記念企画「三蔵法師の道」プロジェクトの音楽を担当。
2001年「吉野魅惑体験フェスティバル」で総合プロデューサーに就任。
2002年、奈良東大寺「大仏開眼1250年慶讃コンサート」で奉納演奏。
2003年、第16回「JAL萬福寺音舞台」でソプラノのサラ・ブライトマン、ピアノのユンディ・リーと共演。
2003年、4月、神津善行氏率いる六華仙のメンバーとして「ASEAN -JAPAN Exchange Year 2003」東南アジア諸国コンサートツアーに出演。6月、エイジアン・ファンタジー・オーケストラの一員として、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムへ一ヶ月のツアーに参加。
2004年8月、イタリアのカターニア国際音楽祭で、城之内ミサ作曲「幻華~古箏のための協奏曲」のソリストを務め、絶賛された。
2005年5月、サンフランシスコ古箏協会第23回コンサートに特別ゲスト出演。
2006年2・3月、「琴姫」のアメリカ・ロシア公演に出演。
2006年は、3月に東京文化会館でのリサイタル開催。4月、新宿コマ劇場における夏川りみ「琉球カーニバル」8公演に、6月、横浜能楽堂特別企画「宮城道雄の聴いた曲 弾いた曲」に、10月、久石譲「Piano Stories 2006 Asian X.T.C Tour」の全国12カ所を巡るツアーに参加。
2007年5月、韓国の金海市で開催された第31回伽耶(カヤ)文化祝祭、芸術舞台に出演。
2009年6月より「夏川りみ歌さがしの旅 2009 アコースティック編~太陽・月・風~」に出演、以来、コンサートツアーにたびたび同行。
2010年5月、天平楽府のメンバーとして、上海万博日本館で演奏。10月、奈良平城遷都1300年祭の音楽イベントに2回招かれ、天皇陛下ご来場の日に城之内ミサ氏のコンサートに参加し大極殿前にて古箏協奏曲「幻華」を演奏、また東院庭園で「筝~その遥かなる調べ~姜小青の世界」開催。
コンサート以外に、ラジオ・テレビ番組への出演も多い。城之内ミサ氏、三宅一徳氏、ミッキー吉野氏など、有名な作・編曲家の曲を多数演奏し、自らの古箏音楽の可能性を広げるべく挑戦を続けている。「ユニット悠風(はるか)」を率いる。
1990年~サントリー・ウーロン茶CMの訳詞・歌・演奏を担当。

海老原真二(キ-ボ-ド)

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関西にて、フォ-クデュオ「紙ふうせん」のサポ-トキ-ボ-ディストとして、プロデビュー。上京後、荻野目洋子、鈴木聖美、岡村孝子、森口博子、喜多郎、森公美子、等等数多くのア-ティストのサポ-ト、バンドリ-ダ-、アレンジャ-として活動。また数多くのレコ-ディングに参加している。2002年から、喜多郎のアメリカ、中国、ワ-ルドツア-に参加。

慧 奏 / Esoh
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ピアノ、シンセ、各種民族楽器、作曲、編曲
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ピアノをメインに、オーバートーンヴォイス(倍音歌唱法)や循環呼吸など独特な奏法や、先住民族のスピリチュアルな伝統楽器と石や木から成る自然素材のオリジナル楽器なども演奏する。その多才さと精神性の高いプレイは、シーンの中でも際立つ存在としてあり続ける。

'87年には、自己のグループ「Silent Pulse」で、モントルー・ニュージャズ・フェスティバル(スイス)に出演する。'91年、ダンス公演「アマミシネリ」の音楽担当として、沖縄・ローマ・パリ・ギリシャ公演をツアーする。

風の楽団〜Wind Travelin' Band のメンバーとして、えまと共に、グラストンバレー・フェスティバル(イギリス)や、アメリカ西海岸ツアーなど国際的に活動を展開しながら、広くアーティストとの交流をもち、多数のユニットに参加。
もっとより良い世界へと心を向ける人々との間で、音楽イベントやアルバムの制作・プロデュースにも携わる。

えま / Ema
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うた・二胡・etc.
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この世のあらゆるものをウタに聞く。

Aurora Voice と称される唄声。
そして、中国の二胡をはじめオリジナルの月弓など、
弓奏楽器を独自のアプローチと奏法により
「もうひとつの声」として、唄う。
その倍音を強く生かした奏法は、胡弓の概念を越え、
弦楽器の原点と未来を紡ぎだしてゆくよう。

『えま&慧奏』はじめ、伝説のバンド『風の楽団』、
他沖縄・奄美の 島唄との共演等、沢山のアーティスト達との
コンサート・レコーディングに参加し、ビジュアルアートや
イベントプロデュース、他アーティストのサウンドデザインを
手がけるなど広く活躍する異色女性アーティスト。

大川実音吏(おおかわみどり)

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ヒーリングアルパ奏者 
7年間の幼稚園教諭、5年間の長距離運転手、結婚後3児の母となる。
25年の夫婦音楽生活を経て、アルパ&ギター夫婦デュオ『better-harpe』(ベターハープ)を結成。
2001年同時多発テロを機に、国境やジャンルを越えた独自の音楽性で癒しのハープの世界を展開。
南米パラグアイの民族楽器アルパのきらびやかな音色を活かし、平和と幸せの祈りを紡ぐ。
【Dr.Kataria's School of Laugheter Yoga認定ラフターヨガ(笑いヨガ)リーダー】
5年間のFMラジオのパーソナリティを経験、幸せを呼ぶ話し方講座の講師となる。
現在『音楽の癒し・言葉の癒し・笑いの癒し』と癒しのトライアングルをベースに活動。

2010年8月、日本で初めての分野『ヒーリングアルパ』を確立し、
1stアルバムを『Mother~母』を発表。

『better-harpe』(ベターハープ)
25年の夫婦の音楽活動を経て2008年に結成された、アルパ大川実音吏&ギター大川利明による夫婦デュオ。
もともと天国で一つだった魂が、この世に生まれ落ちる時に男性と女性に分けられ別々に生まれ落ち、現世でその魂が再びめぐり逢い、出会ったより良き伴侶のことをアメリカでは『ベターハーフ』と呼ぶ。

今里哲

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大阪出身。
岐阜大学教育学部中退そしてパリへ。
1987年テッチャンクラブ発足。
シャンソン歌手としてデビュー。
熱い歌唱、軽妙なおしゃべりで
全国を放浪中。


二胡奏者
李彩霞[LI-SAIKA]

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中国音楽家協会二胡学会会員
中国・内モンゴル・オルドス生まれ
6歳から二胡を学ぶ。
1983年 内モンゴル芸術学校卒業。
1989年 内モンゴル師範大学音楽科卒業。
1996年 来日
2001年 金沢大学大学院教育研究科卒業。
現在、石川県金沢市在住。
日本文化と融合した多彩なコンサート活動を行う傍ら、
彩霞二胡愛好会を主宰し、
日本における二胡の普及に力を注いでいる。

チャッキリ Chakkiri

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吟遊音楽家、マザーノートセッションのガイド。静岡県出身。ビートルズの師として知られる世界的な音楽の巨匠インド古典音楽家ラヴィ・シャンカール氏の愛弟子であり後継者のキショール・ゴーシュ氏に古典音楽を師事し、来日コンサートで多数共演するとともに、現代音楽と融合するボーダレスな音楽性を追究する。国内だけでなくヨーロッパを中心に日本の文化、芸術を紹介する イベントに精力的に参加。一期一会を大切にし、その場の空気を瞬間的にエネルギーとして表現する即興性の強い独特な音楽世界には、多くの興味関心、期待が寄せられている。近年は自身で編み出したマザーノート=本当の自分というコンセプトを元に、一人ひとりが持っている固有の響きを声や身体の音を使って引き出す音楽療法的なセッション、ワークショップにも力を入れている。

Swing MASA

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Swing MASA is the Saxophonist & Vocalist actively performing in Japan and US born and raised on Osaka. She started playing saxophone at age 12 and started taking practice lesson at age 15.

After studying the Performing Art at Osaka University of Art, She came to New York to study Jazz and Contemporary Music as a saxophone major at New School University under the guidance of Reggie Workman.
She studied with Riggie Workman, Billy Harper, Arnie Lawrence, Bross Townsend.

She has performed at Birdland, Michigan Womyn’s Misic Festival, Cherry Blossom Festival, St. Peter’s Church and Harajuku Cuest Hall, Suginami Civic Hall, Kawachinagano Civic Hall, Tondabayasi Civic Hall, Fukuyama Civic Hall, Moriguchi Civic Hall, Dawn Center Hall in Japan.

 She has collaborated with the prominent artist including Dennis Charles(ds), Zane Massey(ts), Ricky Ford(ts), Arnie Lawrence(as), Bross Townsend(p), Cecil Monrro(ds), Kuni Mikami(p), Satoshi Inoue(g), Suhir Blackeagel(vo), Miche Braden(vo), Ubaka Hill(perc), Tishiko Akiyoshi(p), Masaji Otsuka(ssw), Yutaka Sadoyama(ssw), Kan Mikami(ssw), Susumu Sakaguchi(paint), Shizuno Nasu(dance), Tari Ito(performance art), Kiyoharu Yamaga(paint).

She recorded;
“Akeno Hoshi o Miagete/Looking up at the morning star” at New York (1995)
“Swing MASA Band” at New York(1998)
“Swing MASA Osaka Jazz Womyns 2009” at Osaka (2009)
and recorded as gust musician of Masaji Otauka, Sadoyama Yutaka, Ubaka Hill Suhir Blackeagel.

She is the Feminist, Pacifist, Vegetarian, Ecologist. She is making movement for the abolition of capital punishment.
She lives in New York and travel extensively throughout Japan and US.

Rhiannon

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Rhiannon is a vocal artist with a vision of music as a vehicle for innovation, healing, transformation, and social change.
From her stellar collaborations with the all-women’s jazz ensemble Alive! to a cappella ensemble SoVoSo’ to Bobby McFerrin and Voicestra,
Rhiannon has paved a unique path as an independent artist.
In the last years she has continued to refine her improvisation work by performing in a cappella partnership with WeBe3; Joey Blake and
David Worm, both 25 year members of Voicestra with Rhiannon, and with renowned instrumentalists; Abraham Laboriel, Alex Acuna, Otmaro Ruiz and Jetro daSilva in an ensemble known as Spontaneous Composition.
Both groups tour internationally, giving completely improvised performances.
Rhiannon’s new book about her life and teaching methods, The Vocal River, will be published in 2011 as well as a new cd/dvd of live performances
and a documentary about the process of group improvisation.
The powerful body-based vocal improvisation and sound healing process that Rhiannon teaches internationally has now been extended to include
a yearlong training called All The Way In.
Rhiannon is currently an Associate Professor of Vocal Studies at Berklee College of Music in Boston during fall semesters and lives the rest of the
year on her small farm on the Big Island of Hawai’i, cultivating the arts through farming.

ボーカルアーティスト、Rhiannonは、音楽は、“革新”、“癒し”、“変容”、そして“社会変動”をもたらす手段であるというビジョンを持つ。
女性だけのジャズアンサンブル「 Alive!」、アカペラアンサンブル「SoVoSo」、ボビー・マクファーリン等とのコラボレーションで、
独自のインディペンダントアーティストとしての地位を確立。
過去数年の間に、WeBe3、 Joey Blake and David Worm、Abraham Laboriel、Alex Acuna、Otmaro Ruiz、Jetro daSilva等と世界ツアーに出て
即興アーティストとしてのスタイルを確立する。
2011年には、自身の人生と教授法に関する新しい本“The Vocal River”と即興コラボレーションの制作プロセスとパフォーマンス風景を描いたドキュメンタリーCD/DVDが発売される。
体全体を使った即興ボーカルと“All The Way In”と呼ばれるサウンドヒーリングプロセスは、世界各国で注目を浴びている。
現在、ボストンのバークリー音楽大学院教授でVocal研究を教える


Janne Watson

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「私はこの地球と私たちの関係、そして地上でどのように私たちが動きどのような要求を地球にしているか、そんなことに興味をそそられています。時間と自然要素が織り成して行く形式が私の辿る旅路を案内してくれるのです。私は自分のカメラを通じ、今この瞬間に地球が伝えようとしていることは何か?と問いかけます。」 ジャンはハワイ島にて、アヒル、牛、猫一匹、そしてリアノンと同居中です。